帰ってきたぎんちゃん

~脱走猫ぎんちゃんを外飼い猫に~

横になって眠るぎんちゃんのお腹が呼吸で上下するのを、ただ、眺めているのが好きだ。この感覚をどう表現すればいいのだろう。傍らに小さな生き物が息づいていて、この同じ世界を、私とは異なるひとつの意識で受け止めている。そんな当たり前のことを感覚のみで存分に味わう。濃密な時間の中に入って行く・・・。(2018/06/24)


ポンコツ飼い主と脱走猫、これもなにかの縁・・・よね?

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ごはん前のごろごろぎんちゃん

結局昨日は家に入らず。夜のごはんの後は、少し開けておいた玄関からちょこっと中を覗いてたけど。季節も良いことだし、家に立ち入る理由はつまりは縄張りだからだろう。「よし、異常なし!また次回にゃ。」ということで、次回がいつかはわからない。毎日のルートでは無いらしい。

昨日を境に微妙な行動の変化があった。
今までは、ごはんを食べた後にごろごろ、だったのが、
ごはんを食べる前にごろごろ、になった。
なんか意味あるの?

現状、野良猫に餌付けしている状態以上のものではないんだけど、”「おいで」と言うとベッドに飛び乗り撫で回される(室内で私のベッドで私が撫でるの限定、ブラシも可)”の意味が逆にわからんわ。。。なんでそんな限定条件作るんだよう。。。

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私は強いものにはけっこー噛み付いちゃったりしなくもないんだけど、愛情が絡んだ関係や、立場の弱い者に対しては言いなりになりがちなんだよね。無理強いってほんと苦手・・・。「母親」とか「飼い主(猫限定)」とかってこれじゃいかんのかしら?

娘が歩きだしてから幼稚園に入園するまで、雨だろうが嵐だろうが雪だろうが、公園だ児童館だ図書館だと毎日連れ出していたのは別に教育方針でも何でもない。一日中家にいると保たない幼児だったから。嫌いな食べ物を食べさせようとしたりとかもしたことない。悪いこと(はあんまりしない子だった)を止める意外はほとんど何も強制しない。そんなふうにしてると、自分のほうがどんどん大変になっていくわけだけど、子供にとって良かったのか悪かったのかは不明だな。

「自己主張強すぎ」が彼女の欠点だと言うのなら私のせいかもしれない。「フットワーク軽くて行動的」が彼女の長所だと言うのなら私のおかげなのかもしれない。そんなの関係なしに、生まれついた個性なのかもしれない。

長所短所なんて所詮表裏なんだから、別にそれでいいんじゃないかと思ってるけど。まあ、犬とかを飼ってはいけないことは、自分でもよくわかってるよ。子供も、男の子だったらかなり問題あったんだろうとも思う。(男児はろくなことしない笑かわいいけど)

とりあえずぎんちゃんはとっても幸せそうだが、この自由は事故だの病気だのの危険と引き換えだ。でもな~雑種だから病気には強いし、メスだから喧嘩しないし、その上、性格は穏やかで用心深く頭が良い。なので、あまり心配していないんだ。不運に見舞われる確率は低いと思う。ご近所関係で苦情等があればそこはうちの母がうまくやってくれちゃう人なんでなんとかなると思うしなあ。一度自由を味わってしまったものを、いまさら室内に閉じ込めるっていう選択肢は私には無かった。元々は私の不注意からのことなので、自分を責めたりしてかなり悩んだけどね。

動物は人間のように将来を憂いたり過去を嘆いたりしない。今この時を全力で生きている。そんな生き方は我々にはできない。だから惹かれるのだと思う。未だ人に慣れず自由になった猫が、捕まえられたり閉じ込められたりするストレスを思うと、「いずれ大人しくなるもの」として切り捨てることはできなかった。

「室内でまったりとなつっこい猫を飼いたい」っていう私の夢は破れたけどね!
まあ、これも何かの縁よ。