帰ってきたぎんちゃん

~脱走猫ぎんちゃんを外飼い猫に~

横になって眠るぎんちゃんのお腹が呼吸で上下するのを、ただ、眺めているのが好きだ。この感覚をどう表現すればいいのだろう。傍らに小さな生き物が息づいていて、この同じ世界を、私とは異なるひとつの意識で受け止めている。そんな当たり前のことを感覚のみで存分に味わう。濃密な時間の中に入って行く・・・。(2018/06/24)


遠慮がちに「にゃん・・・」

ぎんちゃんはだいたい、一日に3回やって来る。玄関を開けると待っている時もある。「あ、ぎんちゃん、いたね~」前足を揃えてぐいーんと伸びをする。小さな声で「にゃん」と鳴く。私にすり寄りぐるりと一回り。腰をゴシゴシすると気持ちよさそう。「ブラシブラシしよっか~」ぎんちゃんを丹念にブラッシングする。
するりとすり抜けて外に出て、すぐそばで待っている。外に出てブラシをかけろという。「ブラシブラシ~~♪ぎんちゃんキレイキレイね~~♪かわいいぎんちゃ~~ん♪」などと声をかけながらブラッシング。しばらくすると、するりと家に入っていき、カリカリごはんを食べ始める。ごはんはブラッシングの後、と決めているようで、いきなり食べ始めることは無い。

食べ終われば大抵さっさと行ってしまうし、見ていないほうがよく食べるようなので部屋に戻る。時々は食後に家の中を見回ってから出ていくけど、いつまでもウロウロしている時がある。2階までやってくる。「どしたのぎんちゃん?」「にゃん・・・」

めったに鳴かなかったぎんちゃんが最近は話しかけてくるようになった。いつまでも家の中にいるときは必ず「玄関、閉めちゃうからね。外に出たいときはにゃんって言うんだよ。」と声を掛ける。やがて、「にゃん」と鳴いて知らせるようになった。洗面所の網戸を開けて出ることがなくなった。玄関から堂々と去っていく。

私の目を見て「にゃん・・・」うん?玄関はまだ開いているし?「にゃ~ん・・・」そ、そんな悲しそうに鳴かれても・・・・。どしたのぎんちゃん?「ぎんちゃん、ささみ食べる?」と言うとお目々まんまる!「ささみ食べる?」はぎんちゃんが一番に理解した言葉。そして、ささみをもしゃもしゃ食べるとおもむろに階段を降りて出ていった。

おやつが欲しかっただけか・・・・。こちらとしては「まあまあとりあえず食べて落ち着いてよ」の意だったんだけど。

猫のごはん要求っていうと、足元をぐるぐる回って「にゃ~んにゃ~んにゃ~ん、んぐにゃ~ん!」という激しい主張なんだけど、ぎんちゃんは遠慮がちに小声で「にゃ~ん・・・」切なげに鳴く・・・・。弱いわ~~~ささみにちゅ~る、あげちゃうわ~~~!食べたらとっとと出ていくのがわかってても、あげちゃうわ~~~~!何度もやられたわ!

超無口な父がたま~にいいこと言うとすっごく有り難くてとってもいい人に見える、の現象と酷似している。沈黙は金か。長い長い沈黙だったなあ、ぎんちゃん。

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廊下の角でくつろぐこともある

 

お泊りぎんちゃん/ハンターぎんちゃん

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ひとまず、玄関でくつろぎます

降ったり止んだりの雨、出たり入ったりのぎんちゃん。

たいした雨宿りにもならない庇の下がそんなに良いのか。濡れた体を舐めてはまた眠るの繰り返し、疲れるだろうに・・・。他の猫の動きを見渡せる絶好の監視ポイントではあるけど、雨の日に外を歩いている猫はぎんちゃんだけだよ?

日が暮れてくると疲れが溜まってくるのかそれとも諦めるのか、夕方からは私のベッドの上でぐっすりと眠りこけていた。朝までゆっくりするつもりらしく、時々暇そうにしているので猫じゃらしで遊ぶ。野生のぎんちゃんの身体能力は以前にも増して向上していてすぐに捕まってしまうけど、それでも久々によく遊んだな。

朝になると雨が止んでいた。窓から外を眺めるぎんちゃん、ピンと立てた耳。こうなるともう限界だ。ごはんを食べたのを見届けてから階下に降りるとついて来た。玄関を空けてぎんちゃんを見送る。振り返ることなく悠々と去っていくのがやはり猫だなあ。

*****

酷暑の日々、路上に転がって息絶えている蝉を見ることがよくあるけれど・・・玄関脇に蝉が一匹、二匹、三匹、と増えていく?ああ、そうか、ぎんちゃんの貢ぎ物だったのか。弱った蝉の、捕まって散々いたぶられた成れの果て・・・。コオロギから蝉になったのは季節の変化かハント能力の向上か。「ハンター修行中のぎんちゃん、プレゼントありがとね」声をかけつつ回収する。私が求めていたのはこういうコミュニケーションじゃなかったんだけどねもういいけどさ!

昆虫をハントしているうちはまだまだ初心者。りりちゃんやジュリーちゃんはねずみハンターだったよ。時には空飛ぶ雀まで捕まえたよ。半殺し状態の動物を貢がれて泣く泣く処分していた母・・・明日は我が身・・・なんだろうな、きっと・・・。頼んでないけど、それが何よりの愛の証・・・。

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雨の日はお泊り猫/屋根の上のぎんちゃん

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雨の夜はお泊りぎんちゃん

やっと、色々、落ち着いて、久々のぎんちゃんブログ更新だ。

梅雨まではお泊りの多かったぎんちゃんだが、冷房で締め切った部屋を恐れて、夏のお泊りはまだ4回。ちょっと涼しかった一日、閉めたドアに妥協した一日、そして、台風の二日間、それだけ。つまり、昨夜はお泊り、でも、雨の中また出ていって、今現在、隣の空き家の庇の下の湯沸かし器の上でくつろいでおります・・・・。↓

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信頼関係はだいぶ深まって、立って近づいても逃げないし、にゃーと鳴いて色々言うようになったし、ちょっと怖がらせても「ごめんね」って言うと許してくれるし。ニュアンスで言葉を理解する。賢いぜぎんちゃん!

でもでも、屋外メインの生活が完全に板についてしまった。雨が降らないもん。屋外の風通しの良い日陰には負けてしまう家の中・・・。

 

ある日の夜、コンビニに行こうと外に出た。ぎんちゃんの居そうな辺りを眺めていると、隣の空き家の屋根の上に猫のシルエット。ほっそりとしたあの形、ぎんちゃんに違いない。

「ぎんちゃん」

声を掛けると肩越しにこちらを振り向いた。しゃんとした体勢を保ったまま、じっと身動きしない。呼びかけにも答えない。

なんか、孤高だなあ・・・。

すり寄っておやつをねだったり、私の体に身を寄せて眠る、あのぎんちゃんと同じ猫とはとても思えない。たった一人で生きる野生の猫の立ち姿。

ぎんちゃんは野生を捨てない。寂しいな。でも、屋根の上に佇むぎんちゃんは美しい・・・。

私の弟は子供の頃、ちょっとしたやんちゃ坊主だった。野良猫さながら、しょっちゅう屋根伝いに移動してた。屋根から塀へ、塀から屋根へ。道でない道を歩く彼に、一度だけ付いて行こうとした私だけと、ものの数分で挫折したっけ。夜中に抜け出して、学校のプールに忍び込んで泳いできたり、ろくなことしないクソ坊主、死にそうな目に遭ったことも一度や二度ではないらしい。

男の子って楽しそうでいいなあ。私は、運動神経は鈍いし、服が汚れるのも嫌だし、おとなしい女の子だったから、真似する気は全く無かったけれど、それでも、思春期に差し掛かって以来、女性であることの不自由さを感じるにつけ、羨まさは増していったものだ。いいなあ、自由で。

今や、孤独を内に抱えることで大人になったと思っている自分がいる。人は一人で生きることはできないけれど、心の自由は手放さずにいようと思う。そんな私に、暗がりの中のぎんちゃんのシルエットが何かを語りかけているようだった・・・・。

だから、

野生のぎんちゃん、私を慕ってくれてありがとう。

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